言語には文化が宿っている
前回の記事に続いて消滅の危機にある言語についてです。
言語は人と人をつなぐコミュニケーションの道具という側面をもっています。
かつては狩りを成功させる際の意思疎通の手段として、さらには自分の意思を伝えて社会生活を円滑にするための手段として使われてきました。
また、言葉で物語を生み出したり、それを本にしたり、歌にしたりと自己表現の手段としても使われるようになります。
日々の生活の中でのコミュニケーションの積み重ねによって、新しい言葉が生まれて言葉の中にその地域の文化が刷り込まれていきます。
おいしい草には名前が付けられ好んで食べられるようにしていきますし、毒草は食べないように名前がつけられます。
その地域の気候によって、たとえば雨の多い地域では、雨の降り方によって違う言葉があてられたりします。
自然の現象の繊細な差異を表現した言葉は後世に伝えられ、さらに新たな言葉の使い手によって深められていきます。
スウェーデン語の「MANGATA」は「水面に映った道のように見える月明かり」を指します。
日本語の「木漏れ日(こもれび)」は「森林などの木立ちから太陽の日差しが漏れる光景」のことです。
水が貴重な地域でもあるアラビア語の「gharfa」を「両手ですくった水の量」を示します。
マレー語の「PISAN ZAPRA」は「バナナを食べるのにかかる時間」を意味します。
イヌイット語の「IKTSUARPOK」は「誰か来るのではないかとソワソワして外をのぞいてしまうような期待感」です。
このように言語には、その土地の人々の営みがうかがえる語彙や表現に満ちています。
こうした言葉たちが、使い手の減少で絶滅の危機にあります。
多くの人を相手に仕事をしていくには、世界で通じるメジャー言語の習得が必要です。
その結果、マイナー言語はメジャー言語に飲み込まれる形で使い手を失っていきます。
言語が消滅することは、その背景にある文化を失うことにもつながります。
日本でも琉球のことばは「消滅危機言語」です。
その琉球の言語を守る活動も行われています。
https://readyfor.jp/projects/minato