里山こそが絶滅の危機
かつて、人間の手がまったく入っていない土地を人々は開拓しました。
人が住むことさえ厳しい環境を何とか生活できる環境に変えてきました。
家を建てられる平地を作り、土を耕して畑にする。
当時の人間の力は無力でそれだけでも大変な労力でした。
今となっては文明の利器を用いれば計画的に開拓していくことも可能です。
ただ、初めてその地に住みついた人達にとっては命がけの重労働でした。
やがて、土地は切り開かれていきます。
日本中のあらゆるところに里山が広がっていきます。
その土地の地形を利用して、野生動物や植物など、自然と共存した里山は、長い年月を通して移り変わる四季を活かした絶妙な環境になっていきます。
つい最近まで日本全体が里山と言ってもよい環境が出来上がっていました。
薪や炭の材料として木を切るなど、適度に人の手が入ることで整備された森になります。
人は薪をくべて火を起こし、食べ物を調理したり風呂を沸かしていました。
田畑で採れる農産物は野生動物や鳥や昆虫に食べられて分け与えられ、それでも人が食べていく収穫もできていました。
今、里山は減少しています。
人は里山を捨て、都市に仕事を求めて移住し、里山の人口は減り続けています。
集落として機能しなくなった里山は限界集落となり、次々に廃村となっていきます。
それでも人口は増え続け、人は便利で仕事のある都市に住むことを望み、里山は猛烈な勢いで都市へと開発されていきます。
その結果、都市部には周辺部も含めて里山はなくなりました。
圧倒的な近代化に伴って里山が姿を消す中で、人々は里山の豊かさに気づき始めています。
子育て世代のファミリーは、週末に里山風の公園に大挙して足を運びます。
シルバー世代は里山のある地方への移住にあこがれを持ち始めます。
あれだけあちこちにあった里山が貴重な存在になったのです。
一度、荒れてしまった里山をよみがえらせることは労力も時間もかかります。
それでも里山を復活させようという活動は全国で行われています。
また、今ある里山を残していこうという活動も活発です。
絶滅危惧種の動植物の話題がニュースに頻繁に登場する現代です。
里山を守っていく重要性に多くの人間が気づくことで、そこに住む自然の住人たちは絶滅を避けられる気がします。